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筏blog

気をつける。

かもしれない人生

社会

運転中は「かもしれない運転」を心がけて安全に走るようにしています。

自分の運転が下手だとわかっているからです。

僕は生きていく上でもこの考え方を取り入れています。

「仕事が無くなるかもしれない」「大地震が起こるかもしれない」などネガティヴに思えるかもしれませんがそう考えて備えるようにしています。

仕事に関してはスキルアップ、貯蓄。

地震には防災グッズなどですね。

その時うろたえて何もできなくなる事が防げるので前向きだと思っています。

 

この考え方で究極的なのが「人を殺すかもしれない」という事です。

自分にそういう願望があっていつか事件を起こしそうというわけではもちろんありません。

そんな状況に陥ってしまう危険性を想定しておいてそれを防ぐためです。

普通の人が陥りそうな状況といえば、例えば上にも書きましたが事故があります。

車に乗っていれば誰かを轢いたりぶつかったりしてしまうかもしれない危険性は運転者なら誰にでもあります。

人を殺さないために僕は安全運転を心がけます。

 

もう1つは戦争。

戦争が起こってしまえば兵隊に駆り出されて敵と呼ばれる人を殺してしまうかもしれません。

その規模までいくと「しょうがない」「国、家族を守るため」と殺人が正当化されます。

それでも僕は人を殺したくないと思うので、最悪自分が殺されたり拷問を受けても戦争には行かないぞという覚悟を「決められる」ようになりたいです。

まあ怖いですよね。。

だから戦争を未然に防ぐためを意識して行動することもできます。

例えば平和主義的な政治家を見極めてその人に投票する。

それよりもまずは自分が普段から怒らず誰とも争わず生活することでも防げると考えています。

 

ところで先日あまりに凄惨な事件がありました。

障がい者施設での連続殺傷事件です。

こんなひどいことをした犯人が恐ろしいのですが、ここでもまた「自分が犯人のようになるかもしれない」という可能性はないでしょうか?

誰もそんな事は考えていないでしょうが、やはり自分の身に置き換えて想像することは大事ではないかと思います。

 

犯人を凶行に走らせたものは何でしょう。

大麻を使用していたということもあるらしいですが大きな原因は差別意識ではないでしょうか。

彼のようになりたくないのならば、自分の中の差別意識を徹底的に無くしていかなくてはなりません。

その火種は誰もが身の内に抱えていると思います。

 

嫌いな人はいるけどそんなことまでやるはずがないと思うのは簡単ですが、状況が変われば自分を正当化してしまうのもまた人間です。

例えばナチス障がい者を劣った遺伝子を持つ者として虐殺したそうです。

時勢が変わって自分が権力を持った時、さらに上の権力者に命令された時に絶対やらないと言える人はどれ程いるでしょうか。

 

しかしそんな先を想定しなくてもすでにこの社会ではそれが行われています。

出生前診断により胎児に障がいが見つかった場合9割以上が中絶を選択しているそうです。

 「生まれる前だから」「生活、心身共に負担が大きい」

障がい者に産まれるであろう我が子の中絶を正当化する理由はいくらでもありますし合法です。

中絶を批判したい訳ではありません。

自分もいつか同じ状況になればその選択をするかもしれません。

ただ、あの犯人とは全然違うんだと言うことはできるのだろうかと疑問に思いました。

 

「人を殺してはいけない」

その大前提を守ることは実はそう簡単ではないかもしれません。

人間の世界ではずっと続いていることですから。

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